2016年1月24日05時00分
- 紙面ビューアー
- 面一覧
自衛隊と米軍が2012年、民主党の野田政権下で、尖閣諸島での有事を想定した共同作戦の研究案を作っていたことがわかった。日中間の緊張の高まりを受けたもので、昨年4月に改定された新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)に基づいて策定中の共同作戦計画の素案となっている。▼3面=米の意向反映
防衛省の複数の関係者が明らかにした。日米両政府は12年9月の防衛相会談で尖閣有事は日米安保条約の適用対象との認識で一致。研究案は共同作戦計画を「検討」するとした1997年のガイドラインに基づいて作られた。自衛隊と米軍の最高クラスの幹部が署名し、防衛・外務両相や首相にも報告された。研究案を含め、共同作戦に関する情報は最高機密で、日本政府が明らかにしたことはない。
研究案の想定は、漁民などを装った武装勢力が尖閣に上陸して占拠するグレーゾーン事態から始まる。占拠から奪還までの作戦を4段階に分け、防衛省の統合幕僚監部と在日米軍司令部の幹部が組み立てた。「中国」や「尖閣」など直接的な名称は使わず、日米共通の符号で表記されている。
4段階は、(1)侵攻前に尖閣への上陸を予防するため艦艇や航空機で周囲の警備を強化(2)小規模な武装勢力の上陸後は、日米が相手の増援部隊の接近を阻止し補給路を断つ(3)上陸した勢力に対し火砲や空爆などで総攻撃(4)日米部隊が上陸して奪還――というもの。ガイドラインに沿って、自衛隊が「主体的に行動」し、米軍が「適切に協力する」という前提で作られている。
背景には、中国の東シナ海進出に対する日本側の危機感があった。尖閣周辺では10年、中国漁船が日本の巡視船に衝突。12年には香港の活動家が尖閣諸島の魚釣島に上陸し、14人が逮捕された。国有化後は、日中関係は一層緊迫した。
こうした情勢を受け、日米両政府は12年、97年のガイドライン改定の検討に着手。一方、自衛隊と米軍の間で尖閣有事対応の研究案作りが始まった。だが、民主党政権が12年末に退陣したため、本格的な作戦計画にはならず、研究案は「共同作戦計画のためのシナリオ研究のようなもの」(防衛省幹部)にとどまった。
作戦計画は、昨年11月の日米防衛相会談を受け、策定作業が始まった。研究案の内容も取り込まれる予定だ。集団的自衛権の行使など、安全保障関連法の施行で可能となる新たな部隊運用も盛り込む方針。日本の南西諸島などを舞台に「中国がより規模の大きな侵攻を仕掛けてくる事態」(防衛省幹部)に備えた内容をめざすという。(谷田邦一)