東海村村上村長との話 木田さんのお話

原発難民:木田節子さんのお話(下段・」転送)

ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを経験した日本人こそが、
反核反原発、世界平和の先頭に立つべきです。
これが日本の歩む道で、全世界の人々も願っています。
日本の負の経験が世界平和に役立つこと、これを日本人は
誇りとすべきでしょう。(石垣)

木田さんのお話

去年、東海村の谷田部さんや村上村長が、避難民の私の話を聞いてくれ、そこから私の発言が始まりました。

被災者となって気が付いた、この国の理不尽さに抗うことのしんどいこと…長い間、闘ってきた方々には敬服します。
私は一年ちょっとで、もうへこたれそうです。

きょうは7順目の一時帰宅でした。あちこちで除染作業をしていましたが、私の家の敷地内は、雨上がりのせいか、
前回の帰宅時よりも線量は高く、満開の時期には町民を招待する予定のある、
夜ノ森の桜並木の一部には、45microシーベルトの場所がありました。

かと言えば、不思議に線量が低い場所もあり、だから帰還しなさいという訳です。
あちこちに、除染で出た落ち葉や土などの「汚染廃棄物」が山積みにされているのに、数値の低いところは帰りなさいと言い、
イチエフ4号機の不安定さや、73シーベルトもある2号機のことは計算外です。

福島のこのやり方が定着すれば、この先同じことが起こった時、「福島式」を押し付けられるのだと、
立地地域の住民は覚悟しなければなりません。

早く事の重大さに気付いて欲しいです。

警備に来ている警官たちは防護服なし、スクリーニングの係員も相変わらずマスクも手袋もなし。

関西から来ている機動隊に、「あまりにも無防備です。どうして若いみなさんが福島に来るのか、
被曝が条件なのだから年配者にやらせたらいいのに」と言ったら、免許証の提示を求められ、同行者の身分照会までされました。

アメリカとオーストラリアのフリージャーナリストだったので、個人情報をなぜ聞くのかと抗議しましたが、職務だからと強い態度です。

結局、調べても不都合はなかったので帰されましたが、大阪の弾圧がチラッと頭をかすめ、
水戸に戻って東京新聞の「核の攻防・安保熱く」「原発、軍事転用に道」を読んだら、末恐ろしくなりました。

長くなりました。(木田節子)

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s

%d bloggers like this:
search previous next tag category expand menu location phone mail time cart zoom edit close