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2014年6月2日
僕に言わせりゃ、与党協議に入ること自体がおかしいですよ。与党協議の後に自民党に戻すわけでしょ。党内を説得するのに使われるわけです。自民党でまとめてから持ってこい、と言うべきでしょう。そうじゃなければ、政党政治じゃない。国民だって選挙の際に選択できないでしょう。今の公明党は自民党の一派閥です。
――加えて、今の政治家は歴史的経緯をわかっていない?
そうなんです。1946年8月28日、貴族院本会議で、東大総長の南原繁(貴族院議員)が戦争放棄と国連への協力について、こんな質問をしているんです。「国連憲章は国家の自衛権を承認している。国連には兵力の組織がないので、必要な時、各加盟国はそれを提供する義務を負う。将来、日本が国連に加入を許された場合に、果たしてかかる権利と義務をどうするのか」と。
――1952年の国連加盟申請ですね? どのようにクリアしたんでしょうか?
その経過を外務省条約局長だった西村熊雄氏が1960年、政府の憲法調査会で正確に意見陳述をしています。私はそのころ、衆院事務局に入って1年目でした。60年安保の担当で。だから、鮮明に覚えています。すごく話題になったんです。西村さんは1946年11月から52年4月まで条約局長をやった。憲法制定から各国と平和条約を結び、日本が独立を果たすまで、もっとも重要な時の局長ですよ。
■国連も認めている日本の“特殊事情”
西村さんは憲法調査会の陳述で、国連に加盟申請書を書く際、「日本は国連憲章から生ずる義務を忠実に果たす決意であることを宣言したあと、ただし憲法9条に対し、注意を喚起する1項を付け加え、間接的にそれをいった」ことを明らかにしました。それはこういう文章です。〈日本国が、国際連合憲章に掲げられた義務をここに受諾し、且(か)つ、日本国が国際連合の加盟国となる日から、その有するすべての手段をもって、この義務を遵奉(じゅんぽう)することを約束するものであることを声明する〉
つまり、一般的に義務は受託すると。しかし、〈日本国が有するすべての手段をもって〉と書いて、憲法上の制約のあるものは致しません、ということを裏から言ったわけです。西村さんは憲法調査会でこうも言いましたよ。「日本は軍事的協力、軍事的参加を必要とするような国連憲章の義務は負担しないことをハッキリいたしたのであります。この点は忘れられておりますけれども、この機会に報告しておきます」と。国連もそれは認めたんです。
だから、法制局は苦渋し、憲法改正の話が出てくるわけです。しかし、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄も憲法改正をしないと言った。中曽根内閣まで憲法改正の話は出てこない。その中曽根さんも政権の時はあまり言わなくなった。軍隊嫌いの後藤田官房長官が歯止めになったんです。
――そもそも、冷戦時代に日本は再軍備せよ、という圧力はあちこちからあったわけでしょう? それを歴代政権は9条を盾にはねつけてきたわけですよね。
自分から脅威をあおっているのは安倍さんだけです。冷戦時代は米国もソ連も日本に再軍備を迫っていたんです。それに対して、吉田茂さんは4つの理由ではねつけています。(1)日本の経済復興がまだ完全でなくして、再軍備の負担に耐えない(2)日本の今日にはまだ軍国主義の復活の危険がある(3)日本の再軍備は近隣諸国が容認するようになってからしなければならない(4)憲法上の困難がある。吉田さんは特に(2)は重要であると僕に言っていました。(2)も(3)も当時より、今の方が危険じゃないですか。これを日本人は思い出すべきですよ。なんで新聞は書かないのか、不思議です。
――小沢さんは自衛隊とは別組織で国連に協力をすべきだと言っていますね。
それも、こうした歴史的経緯があるからなんです。憲法9条があって、国連加盟の時の留保や吉田さんの理論を踏まえれば、自衛隊と別組織でやるしかない。つまり、国権の発動の武力行使ではない。国連の指揮下に入るものを提供する。それしかないのです。PKO法案の時に、そういう文章を作っていたら、社会党の土井たか子さんが「別組織にすれば党内を説得する」と言ってきた。彼女も憲法学者ですから、わかっていたのだと思います。
――憲法順守と国際情勢のはざまで、知恵を出し合ってきた歴史を安倍政権は無視している。「自分が最高権力者だ」という一言で、ひっくり返そうとしていますね。
政治家は過去を勉強しなきゃいけない。自民党の人も勉強し、苦労してきた。真面目だったんです、われわれは。その意味では安倍首相は論外ですよ。いや、安倍さん自身は知らなくても周囲のブレーンは歴史を知らなければいけない。北岡座長代理は国連大使をやっていたんですよ。条約局長だった西村さんは亡くなる前、憲法が崩れてきた、と憂慮しました。今ごろ、怒り狂っていると思います。(おわり)
▽ひらの・さだお 1935年高知県生まれ、78歳。法政大学大学院政治学修士課程修了。衆議院事務局に入り、副議長(園田直)秘書、議長(前尾繁三郞)秘書などを経て、委員部長となる。92年から参院議員。一貫して小沢一郎と行動を共にし、04年政界引退。以降、政治評論・執筆活動を続けている。